抗体医薬品がバイオ医薬品の主流となり、グローバルな大型商品として展開している。しかし、抗体医薬のターゲットとする抗原の数にも限りがみえてきた。核酸、新規製剤、希少疾患薬、ドラックリポジショニングなど、いろんな分野で新しい展開はみえるが、大木に育つためにはさらなるイノベーションが求められる。現在、薬科大学で教鞭を取る身ではあるが、製薬企業で33年間医薬品の研究開発に携わってきた経験から、日本における創薬を生み出す環境とは何かを考えてみることにした。
武田薬品工業㈱医薬研究本部で33年間働き、新薬の研究開発に取り組んだ。定年より少し前に退職し、現在、日本薬科大学一般薬学部門に教授で勤めて7年目になる。教員生活は予想していたよりもはるかに大変である。しかし、これからを生きる学生の方々の人生に少しでも貢献できればと、微力ながら奮闘し、毎日全力で過ごしている。大学に勤めるようになって、他の製薬会社の研究員の方々とお話をする機会も増えた。会社にはそれぞれ会社カラーがあると実感した。私が勤めていた当時の、武田薬品での安全性評価の想い出を書いてみたくなった。
先日、武田薬品工業㈱に技術・研究職として入社したメンバーによる同期会があった。昭和56年の入社、29名だった。私は現在は大学に所属しているが、そのメンバーのひとりである。入社当時、全員が武田ファミリーに加わった、家族になった感じがあった。そういう時代だったのだ。入社時の1ヶ月間の研修では研究所、工場、物流センターなどを宿泊で回った。各部署の会社の先輩や同僚とのお酒の宴も毎日のごとくであった。同期入社のメンバーで多くの時間を一緒に過ごし同じ経験をしたせいか、大学の同窓のような趣があった。
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